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第34回 国民文化祭・にいがた2019、第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

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PRサポーターズ&インタビュー・コラム

文人碩学としての中田みづほ先生

2019年7月12日

PRサポーター 俳誌「雪」主宰 蒲原宏さん

中田みづほ先生

俳号みづほ、雅号穭翁。本名中田瑞穂。先生は日本の脳神経外科学の父。文化功労者。傑出した文人の先生は学生時代の私の師であり、博士論文の主査。学友中田潤二郎のお父さんでもあった。新潟医大俳句会で亡くなられるまで俳誌「まはぎ」の主宰として師事した。

名誉教授になられ『癲癇2000年』の出版では資料の蒐集と校閲のお手伝いをさせてもらった。俳句ではほめられたことはないが『新潟大学医学部五十年史』を編纂した時とギリシャのコス島からヒポクラテスの木の種を採集して帰り、苗木を育て、母校を初め全国の医学部に寄贈して医学教育のシンボルとした時の二度。「よくやってくれた。御苦労だったね。」とほめられた。

頂いた色々の賞や表彰よりも先生の一言が何よりも嬉しい宝物である。この先生の生き方を真似しておれば千分の一の真似しかできなくとも人生間違いも悔いもないと確信して出来ないながら真似をして来た。先生より14年も長生きをし、まだ真似をし続けている。

先生は1893年島根県津和野生まれ。東大を出て34歳で新潟医科大学の教授となった秀才。医師の父が早逝され苦学をされたという。それにもめげず東大在学中の1914年21歳で帝大俳句会を結成し高浜虚子を師と仰ぐ。新潟に赴任して1929年に同僚の浜口今夜と共に俳誌「まはぎ」を創刊。1935年髙野素十が加わり県下の俳風を激変させ、1975年8月18日82歳で病没。553号で「まはぎ」廃刊。その後を受けて門下で俳誌「雪」を創刊。筆者が主宰で今年5月で500号。先生の遺作の絵が毎年表紙を飾っている。先生の俳句、絵、書、文章も會津八一翁が驚嘆し、文人として親しく交流を続けられ多くの合作が遺されている。清廉潔白で情け深く論旨明晰、努力精進は終生怠ることがなく学究的実践は死の寸前まで続いた。筆者がドイツで先生のために買った『フエルステル伝』を翻訳され死の寸前に脱稿された。先生はユーモアもよく解し見事に学究的な文人の晩年を楽しまれた。

先生の一句「学問の靜かに雪の降るは好き」の生涯であった。


※名称等は執筆時現在です。

■関連リンク
中田瑞穂記念室(新潟大学脳研究所 脳神経外科学教室)

印刷用コラム:文人碩学としての中田みづほ先生(PDF形式468KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員