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第34回 国民文化祭・にいがた2019、第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

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PRサポーターズ&インタビュー・コラム

電子顕微鏡で観る世界
~世界初の走査電顕による腎糸球体撮影秘話~

2019年5月22日

PRサポーター 新潟県健康づくり・スポーツ医科学センター長 荒川正昭さん

医師として60年近く様々な患者さんと向き合ってこられた荒川正昭先生。腎臓の病気を専門としてこられましたが、どのように研究を続けていらっしゃったのでしょうか。今回は、電子顕微鏡を使った研究のエピソードをお話いただきました。

荒川正昭先生
(新潟県健康づくり・スポーツ医科学センターの前で)

 電子顕微鏡(以下、「電顕」と略す)を使った研究を始めたのはいつ頃ですか?

荒川 新潟大学医学部卒業後、インターン(医学実地修練)を経て、昭和36年(1961年)に木下康民先生の新潟大学第二内科学教室に入局しました。入局後、腎臓の病気である糸球体腎炎を研究するにあたり、基礎研究として、第三解剖学教室に出向して、電子顕微鏡学を学びました。
当時の電顕は透過型でしたから、できるだけ薄い標本を作成する必要がありました。それをウランと鉛で染色して観るのです。

 小学校の理科の実験でスライドに植物などをのせて観察しましたが、そういうイメージですか?

荒川 光学顕微鏡は光を当てて観察しますが、透過型電顕は電子を当てて観察します。ダイヤモンドナイフで超薄切片を作成するのですが、非常に高価だったので、硝子ナイフを作って標本を作成していました。硝子ナイフを作るための厚さ5mmの板硝子も当初は買ってもらえなかったので、硝子を成形した残りの縁の部分や割れた窓などの厚い板硝子をもらいに、リヤカーを引いて新潟市の古町の硝子屋に行ったことも忘れられない思い出です。お礼には、医局にあった日本酒を差し上げました。その後、厚い硝子を買ってもらえるようになりました。

 ラット(ねずみ)の腎臓の細胞を走査型電顕(以下、「走査電顕」と略す)により世界で初めて撮影されたのは、いつですか。

荒川 アメリカのオクラホマ大学留学を終え、第二内科学教室に帰ってきた昭和44年(1969年)頃、生物学分野の研究に走査電顕が使われ始めました。走査電顕では細胞の表面を観るのです。表面を立体的に撮影することができます。
今はもっと新しいものがいろいろ出てきましたけれどね。
当時の新潟大学には走査電顕はなく、茨城県の日立製作所那珂工場の研究室を訪ね勉強を始めました。
その後、九州歯科大学の徳永純一先生が、走査電顕できれいな写真を撮られているということで、第三解剖学教室の藤田恒夫先生から紹介いただき、新潟から小倉に通って研究を始めることになりました。走査電顕は、操作と標本を作るのが難しく、なかなかきれいに撮れる人がいませんでした。徳永先生は細菌学者で、カビなどを観ていたのです。徳永先生からは、標本の作り方、走査電顕の調整の仕方などを教わりました。
月1、2回、新潟から夜行列車に乗って小倉に通いました。日曜日の朝に小倉に到着して、1日走査電顕を覗いて、その日の夜行列車で新潟に戻ってきていました。
当時は、暇などなかったですね。外来も入院患者さんも診ていたので、毎朝7時半頃には病院に行って、帰るのは10時過ぎでしたから。働き方改革とは程遠いですね。
その頃、世界中でいろいろな生物が撮影され始めていたのですが、私たち新潟大学のグループは腎臓の重要な構造である糸球体を観たのです。腎臓は、血液中の老廃物などをろ過し、尿として排出しますが、このろ過をしてくれるのが糸球体です。
昭和45年(1970年)に、ラットの腎糸球体の走査電顕写真(写真1)を発表しました。私が撮影した電顕写真が世界最初というのは、たまたまです。

 荒川先生の撮影した電顕写真が、アメリカの腎病理学の教科書に掲載されたそうですね。

荒川 これが教科書に掲載された走査電顕写真です。(写真1)

写真1 教科書に掲載されたラットの腎糸球体の走査電顕写真
「糸球体係蹄:上皮細胞」
( Arakawa M : A scanning electron microscopy of the glomerulus
of normal and nephrotic rats, Lab Invest129 ; 701, 1970 )

PATHOLOGY OF THE KIDNEY(Robert H.Heptinstall)
(第2版,1974)Little, Brown & Company, Boston
表紙が焦げたため、荒川先生が製本しなおした本

この写真が掲載された腎臓の教科書は、平成10年に新潟大学第二内科学教室で火災があり、残念なことに表紙が焦げてしまいました。
第三解剖学教室の藤田恒夫先生と牛木辰男先生がお書きになられた「細胞紳士録」(岩波新書)でも、「私たち(荒川正昭ら)は世界ではじめて、このタコ足細胞を走査電顕でとらえた」と御紹介していただきました。本当に嬉しいことです。

 その後も電顕での研究を続けられたのですか。

荒川 昭和47年に木下康民先生の御推薦で、戦後はじめて設立された岡山県倉敷市の川崎医科大学に赴任しましたが、赴任後も小倉に通いました。
その後、徳永先生に教えていただいた研究者の方が所属する福岡県吉富町の吉富製薬研究所に新しい走査電顕が入ったということで、その電顕を使わせてもらいに吉富町に通いました。
昭和51年(1976年)、人の腎糸球体の電顕写真(写真2)も発表しました。その後もラットに実験的に病気をつくった腎臓や、人の病気の腎臓も走査電顕で観察しました。

写真2 世界初の人腎糸球体(単離糸球体)の走査電顕写真
(Arakawa M, Edanaga M, Tokunaga J : Scanning electron microscopy of the isolated human glomerulus in normal, nephritic, and nephrotic situations. In Glomerulonephritis (ed. Kluthe R,Vogt A, Batsford SR), Georg Thieme, Stuttgart, 1976, p 96 )

昭和55年に新潟に戻ってからは自分で電顕を覗く機会はなくなり、ちょっと寂しい気がしましたね。
今は、新潟県健康づくりスポーツ医科学センターで、中高年のメタボ・生活習慣病の方々、高校生アスリートの医学検査や医学相談をしていますが、学会のポスター会場に行ったり、国内外の医学雑誌を見ると、やはり電顕写真に釘付けになりますね。

 診療をしながら、九州まで通って電顕を使った研究をされていたとは知りませんでした。今日は本当にありがとうございました。


荒川正昭さん/新潟県福祉保健部参与、新潟県地域医療推進機構理事長、新潟大学名誉教授、元新潟大学長、独立行政法人大学入試センター 元理事長・所長

新潟県健康づくり・スポーツ医科学センター/
新潟市中央区清五郎67番地12デンカビッグスワン内
・競技力向上支援:体力測定、動作分析、競技力向上相談
・健康づくり支援:生活習慣しっかり改善コース、親子コース等
・外来診療:内科、整形外科、リハビリテーション科
予約電話番号 025-287-8809(受付時間 火~土曜日 午前10時~12時、午後1時~5時)
・フィットネスホール:通常営業 午前9時~午後5時(受付午後4時30分まで)
※季節により夜間営業あり(午後9時まで)
休館日 毎週月曜日(祝日は営業)年末年始12月29日~1月3日
詳しくは問い合わせください。(電話 025-287-8806)
 

(令和元年5月9日インタビュー) 
※所属、役職、開館日等は執筆時現在です。

■関連リンク
新潟県健康づくり・スポーツ医科学センター
コラム「芸術は長く 人生は短し (医の道は終わりなく 究める時は限りあり)」

印刷用インタビュー:電子顕微鏡で観る世界~世界初の走査電顕による腎糸球体撮影秘話~(PDF形式1,180KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員