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第34回 国民文化祭・にいがた2019、第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

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PRサポーターズ&インタビュー・コラム

水の動力学から観た墨書

2019年3月12日

PRサポーター 新潟工業短期大学 学長 長谷川富市さん

長谷川富市学長

私は書道について全くの素人であるが、無知蒙昧を顧みず書に水の動力学的観点から感想を述べてみたい。

新潟県に本店をもつ第四銀行と北越銀行は昨年(2018年)合併を発表し、第四北越フィナンシャルグループとなった。写真1は今年(2019年)の第四銀行と北越銀行が共同で作成したカレンダーに載った書で、作者は新潟県加茂市出身の新進書道家、下田彩水。躍動する「一」の字が誠に若々しい。この書の作成過程を類推するに、作者は、多分、たっぷりと墨を含ませた大きな筆を比較的早く動かしてこの書を為した。その動きは、点々と飛んだ墨の飛跡とそれに続く掠(かす)れから見て取れる。すなわち、「一」の文字頭の周囲空間、左半分にある墨滴と右下に飛跡としてある墨滴は明らかに時間的運動学的に異なった筆の動きから生じている。推察するに、書き始めの瞬間、筆はほぼ垂直に鋭く降ろされ、次に、左上方から右下方にさらに深く下ろされ、その後一呼吸して一気に「一」の水平部を書き終え、「はね」で完了した。ここには、水の躍動性・動的意外性に主眼がありパフォーマンスや面白さに重点があるように思える。「一」の文字に込めた作者の熱い思いが想像される。

写真1 下田彩水書

写真2 良寛書

一方、江戸時代に越後の生んだ良寛禅師は優れた書家でもあり、その書については多くの本や研究がある。私はそれらについても素人でありここでは触れず、書に水の動力学的観点から感想を述べてみたい。良寛は書を為すに非常に遅筆であったことが知られている。知られていると言っても、実際に書く現場に立ち会った人は既にいない訳だから文献や伝聞による以外に文字を書く速度を確かめようはない。しかし、門外漢である私でもその書が遅筆であったことは類推出来る。例えば、写真2を見て頂きたい。これは、大和仮名で書かれた自作の和歌「わがやどをたづねてきませあしびきのやまのもみぢをたをりがてらに」の冒頭の「和我也(ワガヤ)」の写真である。私の特に注目するところは、我(が)から続く也(や)の線である。細く掠れた線が途切れることなく一定の太さで続く。いや、正確には也(や)の最後の一本はほかと繋がっていない。しかし線のかすれ具合も太さもほとんど同じである。こういう書体はどのようにして書くのだろうか。先ずは、前述のごとく、非常に遅筆でなければこのような掠れた字を書きおおせない。さらに、紙と筆の距離が一定に保たれ、筆を運ぶ速度も一定でなければ線の掠れと幅は一定にならない。動力学的に言えば、筆から紙に伝わる墨の速度(流量)が微小かつ一定でなければならな
い。微小流量の確保と制御は水の実験でも難しく、場合によっては非常に困難な事柄である。人が書く場合、きっかりとした腕の確定がなければ行えないことであろう。さらに言えば、墨水は筆から紙へ大気のなかで伝わる(流れる)。墨水を伝える力(流す力)は地球の重力のみであり他に制御できる力は無い。更にそこには乾燥や表面張力の影響も入る。加えて、墨水の紙への吸着性も考えねばならずこれはこれで難しい問題である。良寛はこのような諸問題を理屈抜きで体得し鍛練を重ねた末にその書を達成したものであろう。このような書、特に掠れた書が現代書道でどのように評価され位置づけられているのか私は知らない。しかし、良寛の書が純で深い心から生まれていることは間違いない。その心を神業の如く書に表したのである。下田彩水の動に対する、良寛の静である。

このような二つの書を見比べると、江戸時代と現代の間に大きな変化があったという気がする。江戸時代は書に墨の飛沫を取り込むことなど考えられず、むしろ墨が飛び散ることはご法度だったのではないか。いつの頃からか、これが面白い芸術性を帯びるということになったのではないか。昔は許されなかったことが今では持て囃されるということはよくある事であり、この場合もそうではないのだろうか。


長谷川富市さん/新潟大学名誉教授。新潟大学教授、新潟大学工学部長等を経て、平成26年4月より、新潟工業短期大学長。

※役職等は執筆時現在です。

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印刷用コラム:水の動力学から観た墨書(PDF形式644KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員