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第34回 国民文化祭・にいがた2019、第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

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PRサポーターズ&インタビュー・コラム

坂口安吾文学碑への招待

2019年3月8日

PRサポーター 文芸評論家 若月忠信さん

坂口安吾文学碑
©新潟観光コンベンション協会

新潟市を訪れる文学愛好家が、必ず立ち寄る場所がある。寄居浜の護国神社表参道脇の通称“はげ山”と呼ばれているところ。そこに坂口安吾文学碑がある。22.5トンの巨石に「ふるさとは語ることなし 安吾」と刻まれ、側面には「坂口安吾が少年の日の夢をうづめたこの丘に彼を紀念するための碑を建てる 昭和三十二年春 発起人代表 尾崎士郎」とある。

海に向かって建つ碑は、安吾があぐらをかいて、口に盃をもっていきながら「ふるさとは語ることなしだよ」とつぶやいている姿のようにも見える。

安吾の、ふるさと新潟への思いは、望郷か、それとも屈折した心情の吐露か。

石川啄木は「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」とストレートにうたった。平成二十年第3回安吾賞受賞の瀬戸内寂聴氏は、この碑の前に立って「新潟の人は、そっけない文言を碑にするわねぇえ」と言ったという。尾崎士郎は「最初は月並みな、なんとなく投げやりな感じもしたが、今となると、それが堂々たる格調をもってひびいてくる」と語っている。芥川賞作家中上健次は、平成元年十月二十一日この碑の前で「安吾は、この光と風の中から生まれた作家であることわかった。いま、ここに吹いている風、ここにあたっている光の中に安吾文学の原風景がある。」と、自分自身に言い聞かせるように、しみじみと語った姿を、私は忘れない。

新潟中学時代の坂口安吾。衿章は2年生。帽子をやや斜めに被り、一番下のボタンは安全ピンで留めてある。

実は、この碑文の元になった色紙は、亡くなる五ヶ月前に書かれたもので、三枚同時に書かれ、すべてふるさと新潟をイメージしている。他の二枚は「雪も新潟の雪は変に親切すぎる」と「コタツはガサツで親切すぎてイヤなものだがあたらぬわけにもいかぬ悲しい新潟」であった。この三枚連作の色紙から、安吾のふるさとへの心情を類推して、ネガティブにとらえる見方もある。

しかし、昭和二十九年十月一日、父母の法事で新潟に帰省した安吾は、次のように語っている。「なつかしいね。どこに住んでいたってやはり心の底には故郷の土の匂いがこびりついているものだよ。町の表情は昔に比べてずいぶん明るくなりうれしいことだと思うが、新潟人の本質は明るくなりっこないはずだ。そこに雪国の個性があるんだから。何にも増してなつかしいのは食べ物だね。昔食べた“お焼き”や“いちじく湯”の味、それに卵の利いたアイスクリーム、みんな、も一度食べてみたいなと思うものだ」(昭和29年10月3日新潟日報夕刊)
これは、安吾のふるさと新潟への、究極の望郷メッセージだ。

人々は、この文学碑の前に立ち、安吾の気持ちを忖度しながら、碑文の心情を考える。

そして、それぞれの「ふるさと」への思いを「ありやなしや」と考える。


※名称等は執筆時現在です。

■関連リンク
坂口安吾デジタルミュージアム(公益財団法人 新潟市芸術文化振興財団)

印刷用コラム:坂口安吾文学碑への招待(PDF形式703KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員