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PRサポーターズ&インタビュー・コラム

新潟古町の伝統芸能~古町芸妓はonly one~

2018年12月18日

PRサポーター 柳都振興株式会社取締役会長/株式会社シルバーホテル取締役相談役 中野進さん

昭和62年に芸妓養成と芸妓派遣をする全国初の株式会社「柳都振興株式会社」を設立した中野進さん。古町芸妓の今昔を語っていただきました。

中野進会長

 「柳都振興株式会社」を設立した当時は、一番若い芸妓さんが36、7歳だったとお聞きしましたが。

中野 設立当時は、振袖を着て桃割れを結った「振袖さん」(若手芸妓)はゼロでした。20年間「振袖さん」は出ず、皆、一本の芸妓(一人前の芸妓)、留袖を着て島田を結った「留袖さん」になっていました。

 古町芸妓が少なくなったのはどうしてなのですか?

中野 仕事はありました。私達の若い頃も、大小様々な料亭で会合をして、宴会をしましたから需要はあったのです。置屋には、芸妓さんを差配する「おかあさん」がいて、2、3人の芸妓が置屋で生活をし、料亭に通ったのです。
芸妓さんは、着物も設え、踊り、鳴物、三味線、唄といろいろな習い事もしなくてはなりません。新潟は、着物にも力を入れて、季節毎に設えます。古町の花柳界は日本で一番いい着物を着ています。習い事も、おさらい会があり、地方さんもすべてプロを頼むので、費用がかかります。
古今東西、芸能や芸術や文明文化にはお金が必要です。例えば、ヨーロッパの王侯貴族にはお抱えの画家や音楽家がいましたね。
明治から昭和の終戦まで、古町の置屋の支援をしていたのは、蒲原平野一帯の田畑を持っていた豪農と、廻船問屋などの豪商でした。昔から財産の評価単位は米でしたから、新潟は日本で一番、資産家がたくさんいたのです。古町の置屋の1軒や2軒の面倒を見ないと、甲斐性がないと言われたものです。それが終戦後、農地改革で豪農がいなくなり、豪商は税法などが改正され置屋に資金援助できなくなりました。それで、置屋では新しい芸妓さんを抱える余裕がなくなったのです。
もうひとつの理由は、若い女性の仕事も多様化し、置屋での生活は敬遠されるようになったことです。

 それで新しい芸妓さんが入らないまま、20年が過ぎていったのですね。

中野 このまま10年、20年すると古町芸妓の文化はなくなるのではないか、と言われるようになりました。
港町で商取引をし、会議や学会を開き、その後のパーティで古町芸妓の芸能ともてなし、新潟の文明文化の真髄に触れて、新潟はよかったとお帰りいただく、それができなくなります。新潟で観るものがないということは、事業家の方にとっては本業に係わります。新潟はつまらないから、わざわざ行く必要もないということになってしまいます。

 芸妓養成の株式会社を作ろうと思いついたきっかけは何ですか?

柳都振興株式会社30周年記念祝賀会

中野 「町おこし」という発想でした。ヒントは「宝塚」です。阪急電鉄の小林一三さんが、温泉に鉄道を引いたけれどお客さんが来ないということで、宝塚歌劇を始めました。
新潟交通の本業はバス運行ですが、観光関連や地域開発の仕事もしていました。ちょ
うど新潟交通の社長に就任していた頃で、アイディアを出した言い出しっぺでしたし、新潟県内の企業で、定款上観光関連なども出来るところは新潟交通くらいでしたので、メインでやることになったのです。
一般の会社より高い給与待遇を用意し、会社で芸能を教え、着物も貸与し、ワンルームマンションを住居として貸与しました。様々な社会保険も完備し、結婚しても出産しても続けられるように産休制度なども整備しました。

 全国で初めての株式会社ということで、反響はありましたか?

中野 すぐに反響はなく、1年くらいは志望者を求めて四苦八苦しました。何も持たずに来てもいいですよ、とにかく1年間だけはやってください、合わなかったらそのとき相談しましょうと、志望者を募りました。1期生として、百貨店の販売員、食堂のウェイトレスなど10人が集まりました。着物など着たことのない人が踊りを習い、三業会館のお披露目会で踊りました。政財界の主だったメンバーや関係者が総出で集まり、20年間いなかった「振袖さん」が10人揃ったことに、皆、感動しました。
30年前に柳都振興株式会社を発想していなかったら、古町芸妓はもう成り立たなかったかもしれませんね。今では、志望者が全国から来ます。ある意味エンターティナーですから、結婚しても、出産しても続けていいんだよ、と言っています。実際、結婚したり、出産したりしている人もいます。
踊りは市山流、三味線、鳴り物は音楽大学の教授と、一流の師匠から習っていますから、唄も踊りも皆一生懸命でうまいです。
古町芸妓の写真新潟で開催されたサミットで感動されたのは2つ。米文化集大成の沢海(そうみ)の伊藤邸(北方文化博物館)と古町芸妓。古町芸妓が出てくると「うわーっ」とどよめきます。宴がはじまり、唄と踊りの披露があり、大感動してお帰りになり、新潟と言えば古町芸妓を思い出すだろうと思います。古町の伝統芸能は、世界にはない「オンリーワン」ですから。

 古町芸妓が存続し、新潟を盛り上げてくれていることは嬉しいですね。


(平成30年11月9日インタビュー 写真提供:柳都振興株式会社)
※役職等はインタビュー時現在です。

 

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印刷用コラム:新潟古町の伝統芸能~古町芸妓はonly one~(PDF形式733KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員