メニューをとばして、このページの本文へ


第34回 国民文化祭・にいがた2019、第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

やさしいブラウザ

PRサポーターズ&インタビュー・コラム

輝いている地方には、健全な地方紙がある~いつの時代も新聞社の心は同じ~

2018年11月21日

PRサポーター 新潟日報社 相談役/元代表取締役社長 高橋道映(みちえい)さん

駆け出し時代は、県内各地の取材はカメラを肩に自転車で。高橋道映さんの新聞に関わるエピソードは数知れず。その中から選りすぐりのお話、文化としての新聞のお話を聞かせていただきました。

高橋道映相談役

 新聞社でお仕事しようと思ったきっかけはあったのですか?

高橋 新潟小学校へ入学したのが、戦後の占領下の昭和24年です。そういう大変な時代に、新聞で元気をもらいました。何よりも日常的に新聞紙があって、遠足のおにぎりも、学校へ持っていく弁当も、包むのは新聞紙。子どもたちは弁当を広げて、新聞を見て字も覚えました。
中学生の時に作文を書いたら、先生に「いいね、君、新聞記者になれるかもよ」なんておだてられて。それが頭に残っていて、大学で新聞を専攻したのです。
次男坊なので、当時は、就職先は東京へという時代。オリンピック不況の昭和40年、就職活動で東京の新聞社を回っていたら、突然、親父から「お前、何をやっているのだ。すぐ戻ってこい!」と電話が。跡継ぎの兄も県外で就職していたので、小さい頃から親しんでいた新潟日報社に就職しました。でも新潟へ帰るのはちょっと寂しい気もしましたね。「新潟日報というのは伝統があるし、いいところだよ。世界的に見ても、輝いている地方には、健全な地方紙があるんだ」と大学の先生に励まされ、新潟で記者としてスタートしました。

 印象に残った取材はありますか?

宮田亮平氏製作の銅鑼
東京藝術大学学長室にあった作品をいただいたという。

高橋 たくさんありますが、まず、朱鷺ですね。佐渡勤務は昭和47年から49年までで、朱鷺が絶滅するのではないか、自然繁殖か人工飼育かと大変な論争があった時代です。「営巣したみたいですよ」と聞き込むと、毎年、地域の人と一緒に山に入っていました。営巣から孵化、巣立ちというのは一番の大ニュースになるのですが、写真は私の安いカメラではなかなか撮れないのです。1年中、朱鷺のことが頭から離れませんでしたね。
昭和54年には、新潟県人が世界で活躍する姿を追う「世界飛脚便」という企画があり、当時は二度と行けないような遠いブラジル、アルゼンチンに行きました。新潟日報は、開港5港の一つを背景に生まれた新聞社なので、機会があれば外国へと記者を派遣しました。30時間かけてサンパウロに到着する予定が、霧で別の空港に到着しました。ブラジルは軍事政権でポルトガル語で、英語が通じない。県人会に贈る簡易の囲碁セットを持って行ったら、変なものを持ち込むなと銃を向けられて、身振り手振りで「ゲームだ」と説明をして、カメラマンと命からがらサンパウロに到着しました。明治時代からの移民1世も元気な頃です。新潟県民は勤勉で、苦労して、ブラジルではコーヒー栽培や技術者、アルゼンチンでは贈答用の花の栽培やクリーニングなど、あらゆる職業でトップレベルでした。越後人らしいな、と思いました。帰りもペルーに不時着して、社への電報も届かず、どこかで行方不明になったと思われました。でも、ただでは帰れないと、ペルーの取材もしてきました。ハプニングがあると度胸がつきますね。
新潟日報は今でも、海外の新潟県人を「がんばれ!」と取材に行きます。その繰り返しが、各国の新潟県人会との絆に繋がっています。

 新聞もひとつの文化ですよね。

高橋 そうですね、大事な役割ですね。嬉しいですね。

 今はいろいろな情報手段が発達してきましたが、どう感じていらっしゃいますか?

会津八一氏が、新潟日報社の社賓として、新潟日報社が新潟大火で丸焼けになった時に書いた作品。この作品が絶筆となる。

高橋 日本は開国してから、近代化のために識字率を急速に上げてきました。新聞にはそうした教育としての役割があり、言論機関として国民の知る権利を守る役割を果たしてきました。だから、いつの時代でも、その本質は変わらないと思うのです。
平成に入りIT化の時代になり、急速に地球が狭くなりました。便利になった一方で犯罪やいじめなどのマイナス面もあり、情報も溢れています。
新聞社はどうか?心はずっと同じ。伝え方はどうか?こういう時代の中で、やはり文字、活字。思考力を高め、いたわりの心を持つ、情操的な面で文字の持つ力は大事ですね。私自身は、紙媒体だけでなく液晶画面の文字も活字と考えています。デジタル機器は、非常に便利で有効な手段です。
しかし活字離れで、基礎たるべき「人間としての力」がなくなるのではないか?そして、誤った情報が氾濫する中、日本の近代化を支えた老舗の新聞力をどう生かしていくのかが問われます。
複数の眼で取捨選択して情報を発信してきたマスメディアの役割、信頼性は今後も変わらないと思っています。
文化的な役割として、新潟日報社では、全国でいち早く戦後の昭和20年から新潟県美術展覧会(県展)も新潟県とともに開催しています。また、新潟地震の後、避難所に向けて「越路号」で巡回映写会を開催したり、医師団と健康チェックしたりと、社会貢献もしてきたのです。

 新潟日報は新潟とともに歩んできた新聞ですね。


高橋道映さん/新潟市生まれ。平成20年新潟日報社代表取締役社長就任、平成26年より相談役就任。
公益財団法人新潟市海洋河川文化財団理事長。
(平成30年10月11日インタビュー)
※役職等はインタビュー時現在です。

■関連リンク
新潟日報モア

印刷用インタビュー:輝いている地方には、健全な地方紙がある~いつの時代も新聞社の心は同じ~(PDF形式753KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員