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第34回 国民文化祭・にいがた2019、第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

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PRサポーターズ&インタビュー・コラム

にいがたの女性消防こと始め

2018年11月19日

新潟県消防学校長 宗村信明

1 「ファイアーマン」から「ファイアーファイター」へ

昔は「消防士」の英語表記は「Fireman(ファイアーマン)」でしたが、現在は「Firefighter(ファイアーファイター)」が(公式には)一般的です。欧米でフェミニズム運動が盛んになる中、「~ man」という「男性限定」的な職業名称は差別的で良くないということで、1970年代に性別に中立的な名称に改められました。では、いつ頃から女性が消防に関わるようになったのでしょうか?
米国では、今から200年前にモリー・ウイリアムスというアフリカ系の奴隷の女性が、ニューヨークの義勇消防隊で勇敢に働き、男性隊員達から賞賛されていたという記録が残っています。英国のケンブリッジ大学のガートンカレッジ(女子大)には、1878年から女子だけの校内消防隊がありました。第一次・二次世界大戦中の欧米諸国では、男性に代わり女性の消防隊が各地で組織されています。戦後、欧米では多くの女性達が義勇消防隊(消防団)や消防会社でボランティアで働き、公的な消防組織に採用される女性も現れました。しかし、「男社会」である当時の消防の職場には、「女性にできるわけがない」といった思い込みに基づく採用・処遇・昇進等に関する差別も根強く残り、「現場で男性と対等な立場で働く女性消防士」という地位が確立するには長い年月がかかりました。
日本では、昭和44年(1969年)に川崎市消防局が、初の女性消防士を採用しています。

2 新潟では…

それでは、本県ではいつ頃から女性が消防業務を担うようになったのでしょう?

(1) 本県女性消防のさきがけ「粟島浦村婦人消防隊」

腕用ポンプ(岩手県消防学校蔵)

今から100年以上前の大正5年(1916年=第一次世界大戦中)、粟島浦村で「婦人消防隊」が結成されました。今で言う「女性消防団員」で、これが本県の女性消防の始まりです。もちろん県内では初めて(全国では山形県の飛島に次いで二番目)のことですが、それには離島ならではの事情がありました。粟島では明治時代に三度火災が発生し、いずれも男性がほとんど漁に出て不在で消すことができなかったため大火になってしまいました。村では「火事が出たら女性が消すしかない」と覚悟を決め、消防ポンプを購入。当時の機材は「腕用ポンプ」といって、4~8人の隊員が息を合わせて「エッサ!ホ イサ!」と漕いで放水するもので、大変な体力を必要としたそうです。しかし、日頃から水産物の陸揚げや畑仕事で鍛えた逞しい隊員(=漁師の女将さん)達は、年に4回も女性だけで放水訓練を行って腕を上げ、見事にポンプを使いこなしたそうです。その後、粟島では火事らしい火事はほとんど発生しなくなりました。これは、家々で火を取扱う女性達が自ら消防を担う事により「火を消すことの大変さ」を実感して徹底した火の用心を行うようになり、更には子供達が毎晩何度も「火の用心」の夜廻りをするなど、島を挙げて防火意識が非常に高まったためと言われています。

古式腕用ポンプ操法(埼玉県坂戸市消防団)

男女混合チームで行う粟島のポンプ操法訓練
(白長靴が女性)

粟島には消防署がないため、現在も消防団が第一線で島を火災から守っています。今の消防団長(男性)が若い頃、ポンプ操法や礼式の訓練をしていると、しばしば女性の幹部から「違う!」と怒られたほど消防に関しては女性の方が詳しかったそうです。総勢約90人(島の人口の1/4)の消防団員の1/3は女性団員。現在は男女の団員が一緒に年3~4回の消防訓練を実施していますが、小型動力ポンプを男女混合チームで運用するのが粟島の特色です。いざ火災の際は、そのとき集まったメンバーだけですぐ活動する必要があるため、男女にかかわらずどの役割(指揮者・筒先員・機関員など)でも受け持てるよう、ポジションを入れ替えて何度も繰り返し練習しています。実際、平成に入ってから島内でボヤが2回ありましたが、いずれもこの男女混合の消防隊がすぐに駆けつけて消し止めたそうです。

足場の悪い竹林での放水訓練

(2) 常備消防(=プロの消防)では…

昭和58年(1983年)、4名の女性が上越地域消防事務組合に県内で初めて消防士として採用され、移転新築したばかりの新潟県消防学校に入校しました。当時は女性が現場活動を行う事が想定されていなかったため、男子がポンプ操法や救助の実技訓練をする間は教養科目を履修していたそうです。それから35年が経過しましたが、消防の活動領域がソフトな部門にまで 広がり、装備の改良・軽量化も進んで女性の活躍する機会が増してきました。また、体力や運動能力に優れ、危険を伴うハードな仕事をいとわず、地域を守る使命感を持って消防を志す女性も増えてきました。県内の消防本部も政府の「女性活躍推進」政策を受けて、女性消防職員を5年間で倍増させる事を目標に採用を進め、昨年4月現在、県内の消防職員約3,300名の内、約70名が女性です。

新潟県消防学校第48期初任科(当時の女子の制服は赤色)

当校の初任科(新人消防士が5ヶ月間基礎訓練を行う課程)の女子学生も年々増え、今年は10名が入校しました。昔と違って訓練メニューは男女全く同じ。身長190cmもある男子学生と一緒のレンジャー行進(隊列を組み、足並みを揃え、大きな掛け声とともに駆け足する)だけでも大変ですが、皆必死になってついて行きます。女子学生の中には救急救命士の資格を持って入校してくる者が何人もおり、救助訓練で男子よりも上手にロープを渡る猛者もいるほどで、その頑張りにはいつも感心しています。

新潟県消防学校第102期初任科生 第3小隊
(訓練礼式の行進練習 中央の丸帽3名が女子学生)

3 消防も男女で担う時代に

先日アメリカ国内でビルの壁面で宙吊りになった作業員を女性の救助隊員が救出する様子がNHKテレビで紹介されました。画面には映っていませんでしたが、恐らく男女混合の救助チームで、比較的身軽な女性隊員が降下して要救助者を確保し、屈強の男性隊員たちがビルの屋上で救助ロープを引いていたのでしょう。彼女の救助技術に対するメンバーの信頼がこの活動スタイルの前提となっていますが、男女が協力してポンプを操作する粟島の素朴な消防団とどこか通じるものがあるように思います。女性が男性にひけをとらないスキルを身につけ、男 女がそれぞれの持ち味を生かして一緒に活動することが、これからは消防の世界でも当たり前になっていくのかもしれません。
消防の仕事はその結果が人の命に直結し、任務には常に危険が伴います。こうした世界で女性が男性とチームを組んで働くのは並大抵のことではありませんが、それを乗り越え、正に「ファイアーファイター」として活躍する女性が、「男だけの世界」だった消防の文化に変化をもたらし、消防組織全体が「強さとしなやかさ」を兼ね備えた、より良いものに進化していくことを期待したいと思います。


※組織名等は執筆時時現在です。

■関連リンク
モリー・ウィリアムスを紹介する記事と写真(The History Reader のホームページより 英文)
画像「ケンブリッジ大学ガートンカレッジの女性消防隊(1889年英国)」(英国在住のHermes氏のブログ”British Paintings”より(出典はガートンカレッジのホームページ))
画像「消火訓練を受けるケンブリッジ大学ガートンカレッジの女性消防隊」(LONDON FIRE BRIGATE(ロンドン消防局)のホームページ 英文)
画像「女性消防隊の訓練(1916年 英国)」 (Members of the Women’s Fire Brigade on a fire drill with hoses and extingushers at full force, 1916) (英国 The Telegraph (テレグラフ)紙 ホームページ 英文 “WW1 women at work: In pictures”より)
画像「若い女性が消防隊を結成」(YOUNG WOMEN FORM A FIRE BRIGADE.)
英国ケンブリッジ大学ガートンカレッジの女子学生による消防隊の活動を伝える米国 ニューヨークタイムズ紙の記事(1939年 英文)※放水訓練中の3人の女性の写真は1927年に撮影されたもの

動画「古式腕用ポンプ操法」(Youtube)埼玉県坂戸市消防団による腕用ポンプ操法の実演動画。1台のポンプを、交代要員を含めて21人掛かりで操作します。粟島でこれを女性が操っていたとは驚きです。

新潟県消防学校
画像「消防学校での救助訓練の様子」「平成28年度 みんなが主役!男女共同参画フォトコンテスト」最優秀作品(新潟県ホームページより)

印刷用コラム:にいがたの女性消防こと始め(PDF形式1146KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員