第34回 国民文化祭・にいがた2019、第19回 全国障害者芸術・文化祭にいがた大会

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PRサポーターズ&インタビュー・コラム

Silver,Beer and Music~雰囲気あるバーラウンジとおいしいビール、そして音楽の物語~

2018年10月9日

PRサポーター 株式会社シルバーホテル 取締役相談役 中野進さん

新潟市の万代シルバーホテルで開かれるラウンジライブ。今宵のライブは、女性ヴォーカルとピアノとコントラバス。素敵なライブを前に、万代シティをつくった中野進さんの、ホテル、ビール、そして音楽のお話。

~ピアノのリハーサルの音が流れてくる~

中野進相談役

中野 だんだんいい雰囲気になってきたでしょ!?

 そうですね。いい感じですね。

中野 ニューヨークにあるホテルのバーラウンジは、だいたいこんな雰囲気なのですよ。

 昭和50年のホテル建設時から、こういう雰囲気でつくられたのですか?

中野 新潟は冬が長いし、暗いでしょ。それで全体を南ヨーロッパの雰囲気にしたいと思って、デザイナーと一緒に相談しました。カーテンもシャンデリアも南ヨーロッパ風です。新潟交通のバスが銀色なので、代名詞の「銀バス」から「シルバーホテル」とつけました。

 毎回ライブにおいでになるのですか?

中野 飛び入りでパーカッションやったりね。
やっぱり楽しいほうがいいですからね、人生は!

ライブ会場のサンセットラウンジバー

 このライブの発案も中野さんなのですか?

中野 せっかくこういう施設があるから、ライブをやろうと思ってね。10年近くやっているかもしれません。月2回、ジャズライブをやるのですが、楽しいんですよね。

 このライブでは、音楽を聴きながら、おいしいビールも楽しめるのですね。

中野 サッポロビールで醸造を担当したのが当時の与板町(現 長岡市)の中川清兵衛、会社として育てた大倉喜八郎は新発田市出身です。そういった訳で、サッポロビールは、新潟と縁が深いのです。ライブを開催することとなった最初から、その時の旬のサッポロビールの試飲も楽しめるようにしています。

 新潟サッポロ会の世話人でもあるとお伺いしましたが、新潟サッポロ会とはどのような会なのですか。

中野 第1回は新潟地震のあった昭和39年頃だと思います。サッポロビールを愛好する新潟の人たちが、よりおいしいビールをつくってもらいたいということで同好会を作ろうじゃないかと。私は、その少し後から参加しました。

 歴史がある会なのですね。どういった活動をされているのですか?

中野 年1回、回り番で、新潟市のシティホテルの大ホールに、300人ほど集まります。サッポロビールの社長さんもおいでになって、色々な銘柄のビールを出していただいて、一夜楽しく過ごすのです。

 規模の大きな会なのですね!

~女性ヴォーカルの素敵な声も流れてくる~

今宵のメンバー ヴォーカル渡辺直子さん、ピアノ海老紀美子さん、コントラバス小寺静さん

 中野さんと音楽のご縁は、どういうきっかけだったのですか?

中野 私は昭和6年生まれです。旧制中学校の2年生までは戦時中だったので、接する音楽というのは、小学校唱歌、校歌、軍歌、応援歌、そういうものでした。
終戦後、進駐軍とともに、アメリカ文化がどっと入ってきました。その時、西大畑の寄居中学校の山の上にあった家が接収されたのです。新潟で、7、8軒接収されました。前庭に将校さんが使う大きなセダンの乗用車が入ること、トイレが水洗トイレであること、この2つは絶対条件でした。

 中野さんのお家は、その頃もう水洗トイレだったのですか!

中野 当時は、大きな浄化槽を庭に埋め込んで、大掛かりに工事しなければできなかったのですよ。広い敷地があり、ある程度の資産がある家が戦前から水洗トイレだったのです。
幸か不幸か家が大きかったので、全部要らないと、前半分だけ接収されました。接収された家には、進駐軍の将校さんと家族が住みましたが、後ろの半分は今までどおり住んでいいよ、ということになりました。
それで、庭がつながっていることもあり、すぐ将校さん一家と友達になったのです。
当時、アメリカの軍隊用のV-ディスクというレコード盤がありました。アメリカ軍はレコード盤とポータブル蓄音機を飛行機から落下傘で下ろして、音楽を聴きながら戦争をしていました。そのレコード盤を「どさっ」と貰ったのです。
それを聴いてみたら、今まで聴いたことのない、ポップス、ジャズ、ハワイアン、カントリーウェスタン…、アメリカンミュージックですよ。スウィングするリズム、複雑なハーモニー。
もう、仰天しました!こんな音楽があったのか!と。家にピアノがあり、ギターも少し習っていたので、どんな和音になっているのだろうと弾いてみたりしました。

今宵、中野さんが奏でる「シーケラー」(カバサ)という楽器

新制高等学校になって、新潟高校で軽音楽部を私がつくりました。そこで、アメリカンミュージックをやったわけです。ピアノ、ギター、ベース、トランペットもいたかな…。新し物好きの何人かが集まって、バンドをつくりました。楽譜もないし、資料もないので、コード進行がぜんぜん分からないのです。V-ディスクから音を探っている
うちに、コード進行が当たって、「これだ、これだ」と大喜びしたという時代です。ハワイアンを主にやっていました。

 その当時、新潟で最新の音楽に触れていらっしゃったのですね!大学へ行ってからも、音楽をやっていらっしゃったのですか?

中野 学習院大学へ行ってからは、部活ではなく、本当に音楽が好きなメンバーだけ集まって、カントリーウェスタンバンドをやっていました。「Sunny Ranch boys」というバンド名で、色々なダンスパーティに呼ばれました。

 素敵ですね!

中野 いろいろな面白い男がいましたよ。バンドマスターでリードボーカルは、薩摩の島津家の末裔でした。毛利家、松平家の末裔もいました。そんなメンバーにたまたま私も一緒になって、ヴォーカルとサイドギターをしていました。メンバーの鎌倉の別荘にみんな集まって、夏の大合宿をして騒いだものです。
もうひとつ刺激を受けたのは、ラジオの進駐軍放送。テレビがないから、それで、カントリーウェスタンなどを聴くわけですよ。
面白かったですね、青春時代は!

 将来、音楽の道に行こうと思ったことはあったのですか?

中野 「本当に好きなものは、仕事でするな」という格言もあるのですよ。道楽にしておきなさい、と。だから、仕事にしようとは思わなかった。本当に楽しいこと、面白いことは、趣味にしておいたほうが長く続きます。
楽しいほうがいいですからね、人生は!

 音楽が人生の一番の楽しみでいらっしゃったのですか?

中野 仕事も楽しかったですよ、おかげさまで。
昭和39年の新潟地震の後、単なる復旧でいいのだろうかという考えが浮かびまして、市民の皆様の必要としているものを調査して、新潟交通で万代シティの街づくりをしました。
人が来てショッピングをしたり、楽しんだりするのも大事だけれど、やっぱり人が住んで24時間呼吸しているのも大事です。だから、24時間シティにしようと、衣、食、住、遊が入っている街をつくりました。
レインボータワーは新潟市を100m級の空から俯瞰したいと思ってつくりました。レインボーって、夢とか希望があるでしょ!?
公道の上を渡るペデストリアンデッキも日本初ですよ。

 中野さんは、音楽も街づくりもいつも最新ですね。

中野 つくる時は大変でしたけれど、楽しかったですね。

 楽しいお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。

~ライブ本番~

ライブの様子の写真

中野さんもシーケラー(カバサ)で参加。楽しそうにリズムを刻む姿に、思わず一緒にリズムを刻んでしまいます。夢のような時間が過ぎてゆきました。


中野進さん/柳都振興株式会社取締役会長、新潟交通株式会社元代表取締役社長
(平成30年9月12日インタビュー)
※企業名、肩書き等はインタビュー時現在です。

■関連リンク
万代シルバーホテル
サッポロビール株式会社
柳都振興
新潟交通

印刷用コラム:Silver,Beer and Music~雰囲気あるバーラウンジとおいしいビール、そして音楽の物語~(PDF形式977KB)
PDF版デザイン協力:新潟県タオ国際交流員